◎遠山氏時代(鎌倉~室町 388年間)
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加藤景廉(かげかど |
文治元年(1185)遠山庄地頭に補せられて岩村城を創築。源頼朝の重臣。 |
遠山景任(かげとう) |
元亀元年(1570)秋、武田信玄の将 秋山信友 が侵攻してきた際に出陣した。
岩村遠山氏最後の城主。妻は織田信長の叔母で、女城主。 |
御坊丸 |
信長の五男で景任の養子。8歳にて家督を相続するも、事実上は景任未亡人が城主として采配を振るった。秋山入城後は甲府へ人質として送られる。天正9年人質開放の後織田勝長と称し、本能寺の変に父とともに戦死する。 |
◎戦国時代(安土桃山時代 28年間)
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秋山信友 |
景任夫人を妻とする。天正三年織田信忠軍に攻められ落城。大将陣にて妻ら五人と逆磔により殺された。 |
森蘭丸 |
18歳にて城主。信長の愛臣。本能寺の変にて戦死。 |
森長可 |
蘭丸の兄。小牧山の戦いに秀吉の旗下として戦い長久手において戦死。 |
森忠政 |
蘭丸・長可の末弟。慶長四年まで城主。天寿をまっとう。 |
岩村城主森蘭丸、森長可、森忠政の森三代の城代を務めた各務兵庫は、18年余りをかけて岩村城を近代城郭に改造し、領下は天正検地も行われました。 |
◎岩村藩時代(江戸時代)
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松平家乘 |
城の麓に藩主邸を造営し、これを中心にして城下町を経営した。尾張・三河方面から有能な商人を招聘して、城下町の繁栄を図った。林述斎・佐藤一斎を輩出。兵農・商農の分離。 |
松平乘紀 |
文教政策に志し城下に藩学としては全国で3番目にあたる学舎を興し、知新館の前身である文武所とした。 |
松平乘賢 |
歴代藩主の中で最も名君の誉れ高き人。幕府の老中に抜擢され、領地も一万石加増され三万石となった。 |
松平乘命 |
明治元年官軍に帰順ついで版籍奉還。 |