1861年(文久元年)~1939年(昭和14年)
我が国の植物学の礎を築いた、桜と菖蒲(しょうぶ)の研究の世界的第一人者である。景観と云う言葉をわが国で最初に使用した人物としても知られる三好学博士は、幼少の頃から恵那地域の恵まれた自然の中で育ち、植物学の研究を通して誰よりも自然のすばらしさを感得していた。
時は明治の産業革命、歴史的に貴重なものや古くからの名勝、自然景観、名木や巨樹などが破壊され、多くの貴重な自然が人の手により絶滅の危機に追いやられることに激しい怒りと悲しみを感じた博士は、学術上価値のあるものは法律で保護するべきであると世に先駆けて訴えた。その努力により大正8年、「史跡及び天然記念物保存法」が公布施行され、博士は、亡くなる直前まで天然記念物の保護に力を注いだ。
又、1922年(大正11年)にアインシュタイン博士が来日した際に、博士は接待役として小石川植物園を案内している。 岩村藩・江戸藩邸で生まれ、幼年を岩村で過ごす。わずか18歳で、光迪小学校(現瑞浪市土岐小学校)校長に就任した。その後、東京大学理学部生物学科を経て、大学院へと進み、植物学の研究を続けた。在学中ドイツ留学を命ぜられ、帰国後35歳の若さで東大教授に就任、理学博士の学位を受けた。
東大教授在学中に発表した研究論文は100編、その著書も100冊に及ぶと言われている