1854年(安政元年)~1859年(安政6年)
実践女子学園などを創設した、女子教育の先駆者。幼名は平尾銘(せき)。代々学者の平尾家に生まれた銘は、幼い頃から学問に触れ、和歌や漢詩を詠んだ。 1872年(明治4年)、18歳で江戸の儒学者・東条琴台を訪ね、翌年に宮内省に出仕した。
同年、皇后陛下に詩歌を献上したところ、その文才を認められ、歌子の名を賜った。 その後、歌子は女子教育の道に進み、実践女子学園、女子工芸学校を創設し、校長となるなど、明治・大正時代を代表する女子教育者の名をほしいままにした。