岐阜県恵那市岩村町は、八百年余年の歴史を持つ三万石の城下町として、今も城山に本丸をはじめとする石垣を残す日本百名城のひとつ岩村城跡をはじめ、重要伝統的建造物群保存地区に選定された歴史の町並み(岩村本通り)や数多くの旧跡を有する、情緒あふれる史跡観光の町です。
また、面積の70%弱を雄大な森林が占め、農村景観日本一と称される富田地区や、清流の象徴ホタルが舞う飯羽間地区など、豊かな自然にも恵まれています。

岩村本通りの西町商店街は、平成30年度前期NHK連続テレビ小説「半分、青い。」のロケ地となりました。

遠く戦国時代から江戸、明治、大正、昭和と古き良き時代の変遷を楽しむことが出来ます。
そして、美しい水と豊潤な土地から生まれた食がたくさんあるのも特徴です。
地元の新鮮な野菜や果物、米から生まれたメニューもいろいろ。
ゆかしき里 岩村を、ごゆるりとお楽しみください。

平成16年10月25日に、恵那市と合併し、恵那市岩村町となりました。
気象は、夏は涼しく雨量が多い。冬は降雪はがないものの、寒冷な内陸性気候です。
人口は、平成24年5月1日現在で5,410人。世帯数は1,897世帯。

郷土の偉人

下田歌子(しもだうたこ)

下田歌子

幼名、平尾銘(せき)といい、代々学者の家である平尾家に生まれました。

幼少の頃から漢学と和歌を学び才女の名が高かった。明治4年に18歳で上京し、翌5年に宮内省に出仕し、同年皇后陛下よりその才能から「歌子」の名を授かりました。その後、歌子は女子教育の道に進み、実践女子学園・女子工芸学校を創設し、校長となり、明治・大正を代表する女子教育者となりました。

佐藤一斎(さとういっさい)

佐藤一斎

佐藤一斎は、「この人物が居なかったら、日本の夜明けは無かったかも知れない。」と言われる江戸時代後期の儒学者。門下生には、佐久間象山、山田方谷、渡辺崋山などがおり、一斉の著書である「言志四録」は幕末の西郷隆盛、勝海舟、坂本竜馬などに大きな影響を与えたと言われています。

城下町には一斎が残した名言が書かれた200枚もの木板が家々の軒下に掲げられ、また各所に建てられた碑文など、至るところで一斎の言葉に触れることができます。

佐藤一斎の教えをいかしたまちづくり「NPO法人いわむら一斎塾」ホームページ
http://iwamura-issaijyuku.com/

三好学(みよしまなぶ)

三好学

天然記念物制度を提唱した現代植物学の祖。

岩村藩・江戸藩邸で文久元年に生まれ、幼年を岩村で過ごしました。わずか18歳で、小学校校長(光迪小学校)に就任。その後、東京大学理学部生物学科を経て、大学院へと進み、植物学の研究を続けました。在学中、ドイツ留学を命ぜられ、帰国後35歳の若さで東大教授に就任、理学博士の学位を受けました。東大教授在学中に発表した研究論文は、100編におよび、その著書も100冊といわれ、わが国植物学の基礎を築き、桜と菖蒲(しょうぶ)の研究における、世界的な第一人者として著名です。

景観と云う言葉を最初に使用した人物としても知られている博士は、幼少の頃から恵那地域の恵まれた自然の中で育ち、植物学の研究を通して誰よりも自然のすばらしさを感得していました。時は明治の産業革命、歴史的に貴重なものや古くからの名勝、自然景観、名木や巨樹などが破壊されていき、多くの貴重な自然が人の手により絶滅の危機に追いやられることに激しい怒りと悲しみを感じた博士は、学術上価値のあるものは法律で保護するべきであると世に先駆けて訴えました。その努力により大正8年、「史跡及び天然記念物保存法」が公布施行され、博士は、亡くなる直前まで天然記念物の保護に力を注がれました。